それからどれくらい泣いただろう。
すずめに促されて座り込むと、彼女は優しくグローブで背中を撫でてくれた。
泣き止むことが恐ろしかった。泣き止んで顔を上げたら、すずめの顔を見なくてはならない。どんな目で今の私を見るのか、確認することが恐ろしかったのだ。
下を向いたままの私は、目前のキャンバスにできた真新しい血痕を、痺れた頭で眺めていた。
一滴また一滴と、少しずつ数を増やしていく赤い水玉。それがすずめの血なのだと理解した時、私は自分の身勝手さに吐き気を覚えた。
堪え切れなくてついに顔を上げ、懸命に言葉を絞り出す。
「ずずめざっ・・・ごべんなざぃ・・・」
鼻が詰まってまともな声は出せなかったしますます涙は溢れ出たが、霞んで見えるすずめの顔は、穏やかな笑みを湛えていた。
「とりあえずグローブと頭のを外そう」
救急箱を持って来た小暮さんが、まず私のグローブを外しにかかる。
「最初は手加減してるのかと思ったよ」
彼はテキパキと作業を進めながら、恐らく私に向かって呟いた。
「名取と何かあったんだろうけど・・・そうだな・・・」
小暮さんは言葉を濁したまま作業を終えると、救急箱を掴んで私に突き出す。
「ちょっと上の様子を見てくるから、名取の処置を頼む」
そう言ってリングを降りると、さっさと階段を上って行ってしまった。
私の涙はいつの間にか止まっていて、だからこそ彼は二人の場を作ってくれたのだと思う。
「じゃあ、お願いします」
手で鼻を押さえていたすずめが照れ臭そうに笑った。
私は脱脂綿を小さく千切るとペットボトルの水で軽く湿らせ、それを詰める為にすずめの顔に手を添える。自分でも手が震えているのがよくわかった。胸の高鳴りがそのまま伝達しているかのようだった。
くすぐったいのか、また少しすずめが笑った。それでさらに緊張した私はたっぷりの時間をかけて、ようやく彼女の処置を終えることができた。
「ふふっ ありがとう」
何て事のないすずめの返礼だったが、それが私には妙に苦しく、
「・・・ごめんなさい」
気がつくと謝罪の言葉を口にしていた。
「鼻血の事・・・ですか? おかしいですよボクシングなのに」
私は慌てて首を振った。そうではないのだ。
「その・・・全力で闘えなかったから・・・」
「えっ 体調でも悪かったんですか? あ・・・」
すずめの声のトーンが急速に下がり、顔が俯く。
「やっぱり私、まだ力不足でしたか・・・」
「ち、違うの!」
気が動転した私は、両手ですずめの手をしっかと握りしめ、驚く彼女の顔を真正面から見据えた。
「私はあなた・・・すずめさん、が、好き、ですっ!!」
つっかえながらの告白にすずめは大きな瞳をパチクリさせ、不思議そうに首を傾げた。
「私も、つぐみさんの事は大好きですよ?」
ああ、それは少し違うんだ。
私は頑張って頑張ってすずめの目を見つめ直し、顔の横で右手の人差し指を立てる。
「と、友達の・・・もっと上、という意味で・・・」
「ん?」
すずめは私を真似て指を立てると数秒ほど思案し、やがて顔が真っ赤に染まると――
つぽんっ!!
再び噴き出した鼻血と共に、詰められていた脱脂綿が勢いよく飛び出した。