身に余るスポーツバッグを抱えて、すずめが小走りに駆けて来た。
「念のため明日検査には行きますが、大した事はないそうです」
すずめの顔中に貼られた絆創膏から、所々アザがはみ出て見える。先程の試合であれだけ打ち合ったのだから無理も無い。
「大分打たれていたから不安だったけど・・・大丈夫そうでよかった」
私が文字通りホッと一息吐くと、すずめは照れながら、
「ご心配おかけしました」
と会釈を返す。
その時私はようやく、頭を下げたすずめの後ろにいる、もう一人の女性に気がついた。
私の視線に気づいた彼女もまた絆創膏だらけの顔で、にこやかな笑みを見せて頭を下げるのだった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
いつものウェイトレスが笑顔でオーダーを取りに来る。何度も利用しているせいか、顔の腫れた女の二〜三人程度では動じなくなったようだ。
各々が飲み物を頼むと、私たちは丸いテーブルを囲んで改めて向き直った。
「白木くいなです。大学に通いながらボクシングをやっています」
彼女は落ち着いた物腰の女性だった。すずめとは別の意味でボクシングとは縁遠い、そんな印象を受けた。肩口で切り揃えたサラサラの栗色の髪が、そのイメージを際立たせているのかもしれない。
「それにしても今日はしんどかったわ・・・」
くいなは大きくため息を吐いた。
「すずめさん、デビュー戦とはまるで動きが違うんだもの。どんどん前に出てくるし」
「あ、ありがとうございます」
褒め言葉と捉えたのだろう、すずめは恐縮して軽く頭を下げた。
「何かモチベーションが違う気がするんだけど・・・どう?」
くいなの問いで、何故かすずめの顔が赤く染まった。
「それは、その・・・初めてボクシングで友達ができたから・・・」
伏し目がちにちらちら私を窺うすずめの様子に、今度は私の顔が火照りだした。
「で、で、でもっ、私たち今日まで一回しかお話してませんし」
大慌ての私をからかうように、くいなが身を乗り出してこちらを見ている。そんな彼女に気づいているのかいないのか、すずめは上擦った声で話を続けた。
「それでも、あの時のお話が私を支えてくれたんです。女性の方に頑張れって言ってもらえたのって、初めてでしたから・・・」
最後には消え入りそうな声でそこまで言うと、彼女は顔色を隠すようにうつむいてしまった。
「これは・・・妬けちゃうなあ」
黙りこんでしまった私たちを見て、くいなは呆れながらも楽しそうだった。
「あ、でもね」
くいなはすずめの肩にポンと手を乗せ、低いトーンでこう釘を刺した。
「もう私たちみたいに、試合後に簡単に声をかけちゃ駄目だよ」
ビクンとすずめの肩が大きく震えた。
「まさか、自分が殴り倒した敗者にまで声をかけるつもりだった?」
私は背に冷や汗が吹き出すのを感じた。
すずめは静かに、首を横に振った。
「うん。私たちは特別なケースだって事、忘れちゃ駄目だよ」
「・・・はい」
「いきなりでごめんね。でも、心配だったから」
くいなの声に柔らかさが戻った。
それでもまだ、冷や水のようなくいなの言葉が、耳から離れることは無かった。