市の図書館で夏休みの課題を進めて一時間。いつの間にか、翠の向かいの珠子の席から、ペンの音がしなくなっていた。変わりに聞こえるのは、図鑑のページをめくる不規則な紙ずれの音。翠が顔を上げると、珠子は熱心に眼球の図鑑らしき物を目で追っていた。
「・・・何してんのタマ?」
翠の言葉が区切りになったのか、珠子は大きく伸びをして、首をコキコキ鳴らした。
「や、調べ物してるんだけど。みつかんない」
「目がどうかした訳?」
うーん。と、珠子は小さく唸った。
「私じゃなくて従兄が、ね。目の調子がおかしいって」
珠子は小さく溜息を吐いて、言葉を続けた。
「一昨日、家に遊びに来たんだけどね。二人でゲームしてた時にボソッと言ったのよ。まばたきがいらなくなったって」
翠は思わず眉をひそめた。
「いや、意味がわからん」
「私もわかんなかったわよ。何それ?って。だから従兄が実践して見せたの」
珠子は大きく身を乗り出し、自分の右目を指差した。
「私が5分間見張っても、一度もまばたきしなかった」
「ほ、ほほう」
その熱のこもった口調に思わず唸る翠。多少の呆れが入り混じった「ほほう」だったが、気にした風もなく珠子は話を続けた。
「だからその原因を調べてる訳。放って置くと気になるから」
「いや、眼科行こうよ眼科」
「目をいじられるのが怖いんだって」
「じゃあ原因調べてもしょうがないじゃん」
「これは・・・私が安心したいから」
珠子の声のトーンが急に低くなった。目を伏せて、ゆっくりと話を続ける。
「まばたきしないってだけの事なんだけどさ。それだけで、従兄が別の生き物のように思えちゃって。だから、従兄の人間としての確証を掴みたいの」
多分珠子は頭の使い方を間違えている。翠はそう思ったが、それは黙って置く事にした。まばたきをしない人間に対して、さほどの興味も沸かない自分が普通なのか、自信が持てなかったからだ。
「とりあえず課題も進めなよ。もうお盆過ぎたんだから」
「うん」
そうやって適当にこの話題を終わらせたのも、自分の普通を守りたかったからなのか。珠子に感化された頭で、翠はそう思った。