仲が悪いことなどなかった。マネージャー同士、うまくやっていけていると思っていた。しかし神山さんは制服に着替えると、口論の場となった更衣室から音を立てて出て行った。

 私は溜息を吐いて着替えを済ませ、部屋を出ようとした。

 と、不意に正面から赤い物を投げつけられ、胸元でそれを受け止めた。スパー用のボクシンググローブだった。

 神山さんは既にリングの上に立ち、私に鋭い視線を投げかけている。気が立っている私には、その行為が軽い挑発のように思えた。荷物をその場に放り出すと、グローブを嵌めてリングへと上がる。

 部室には、戸締りの為に残っていた私たち以外に人はいない。シンとした部室に、やがて打撃音が響いた。

 最初に右ストレートをもらってわかった。神山さんは本気だ。初めて受けたパンチは、私の頭を芯まで痺れさせ、それまでの思考を一気に奪い去っていった。代わりに私の体を動かしたのは多分怒りで、気づいた時には右腕全体に手応えを感じていた。自分の赤いグローブが、神山さんの顔を弾き飛ばしていた。

 空色のスカートがふわりと舞い、神山さんは尻餅をついた。鼻の辺りをグローブで押さえ、涙目になっている。私は半ば放心して彼女に見入っていた。

 いきなり、神山さんが動いた。立ち上がり様に私にタックルを仕掛け、一気にロープまで押し込まれてしまった。

「試合じゃないんだからね!!」

 続けて、腹部に彼女の拳がめり込む感触を覚える。感じた事の無い苦痛に、私はお腹を押さえながら崩れ落ち、リングに額を擦りつけた。

「ハアッ…ハッ…」

 息を吐く度に口からポツポツと滴が落ちていく。

 何でこんな事になっているのか。頭が混乱し、涙が込み上げた。それでも痛みが薄らいでいく中で、一つの感情を私ははっきりと自覚した。

 負けたくないんだ。

 私を見下ろしていたであろう神山さんの足を掴み、一気に引き摺り倒す。

「キャッ!!」

 その間に私はロープを掴んで立ち上がり、グローブで口を拭った。

「ケンカでも何でもいいよ。好きなだけやれるなら」

 そう言い放ち、立ち上がった神山さんの横顔を殴りつけた。彼女はそれに応えるように私を睨みつけ、顔を殴り飛ばした。

それからはお互いボディーは打たなかった。鍛えていないこの身体では、多分そこで終わってしまうから。視線を外さないまま、私たちは拳を交換し続けた。

やがて打ち疲れて抱き合い、そのままへたり込み、気がついたら日が沈みかけていた。

 座り込んだまま、私たちは互いを見つめ、一発ずつ音高く頬を張った。

「ちょっと…気が晴れたわ」

 神山さんは涙を浮かべたままそう言って、少し笑った。

「ふふっ」

 私は何だか可笑しくなって、もう一発彼女を軽く小突いてやった。